母の日の週末に、両家の母を訪ねて回るドライブツアー。

コロナ禍でも続けていた恒例の行事だが、今年は忘れ難い週末となった。

 夫の両親には、結婚前からの長い付き合いの友人夫婦がいる。

家族ぐるみで旅行に行ったり互いの家を子供達が行き来したり、

義父の職場繋がりでのご縁らしいが、

双方の妻は夫らを上回る仲の良さだったようだ。

 

 最後に会ったのは、4年前。

コロナ禍直前で、肺ガンと聞かされ会いに行った翌年の秋だった。

その後夫の両親だけでも昨年、会いに行ったらしい。

ご主人も認知症を発症し、奥様が入退院を繰り返すようになり、

今年はどうしようかと義父が迷っていると聞いて、

再び4人で大型連休開けに会いに行こうと予定を組んだ矢先、

奥様の容態が急変。病床から、私達の来訪予定を思い出し、

入院を知らせる電話をかけて義母と話したのを最後に、

78年の生涯を閉じられた。



 コロナ禍でも幸いにして家族葬の会場へ、

通夜、告別式の両日共に参列することができたのだが、

闘病生活が始まる直前まで続けていた活動への感謝状が飾られており、

市長から弔電を頂く程活躍されていた事を知った。

 戒名に、睡蓮。優しく微笑む生前の姿が偲ばれる。

幸いにして出棺前のお花入れに立ち会わせて頂くことも出来た。

母の日に、花と共に旅立った。

これからは、母の日が来る度にこの日を思い出すだろう。

 通夜の際、来訪者を笑顔で迎えていたご主人。

自身の事情について、頭を指差しながら「ココがどうもダメでね」と

字を書くのが特に苦手になったと話していた。

笑顔は見られたものの、奥様との最後の別れの瞬間は、

ただ目の前の奥様を言葉なく見つめる姿が切なかった。

奥様の胸元には、ご主人が置いた赤い花。

患っていた肺に一番近いところにあった。



 母の日の花を花屋で選ぶ時には既に訃報に触れていた。

どんな花が好きだったのだろうか。

そんな事を考えていたら大きな蕾が目に止まった。

どんな花が咲くかを楽しみにできれば、と名前を伝えずに花束の主役にした。

 「芍薬ね!私大好き!」

と、義母は赤子を慈しむように両手で萼を揉み、花弁の先端に鼻を近づけていた。

こうすると花が開き易いのよ、と。

義母の期待に応えるかのように、告別式から戻ると蕾が大輪の花を咲かせていた。  


 当初ドライブで会いに行く予定だった日。

葬儀翌週の土曜日。夫が家の留守電に生前の声が残っていた事に気づいた。

4年前、記念写真を飾れるように加工して送ったものが届いたという知らせだった。

その声は、あたかも今回の参列へのお礼のメッセージのようにも聞こえた。



 あの日の「ありがとう」の声が、貴重な記録となり、

何度でも私達の心に花を咲かせてくれることと思う。

蕗355号 掲載予定






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