計らずも今年は
2度もGoogleのストリートビューに
映り込んでしまった。


1度目に映り込んだときは
真夏。炎天下の仕事中だった。
2度目は最近。
10月の通勤途中だった。


地図の更新頻度はどれくらいだろうか。
履歴を見る限り、年に1度のペースで
更新がされているようなので、
気になるエリアを見直してみると、
馴染みの地域猫が映り込んでいたりする。


通勤エリアでも、
八百屋のご主人が映り込んでいたことがあった。
今年の1月に閉店されたので
今では懐かしい思い出の記録となったが、
街の景色になって働く姿が残ることを
素敵だなぁと思っていた。


それがまさか、
自分もそうなるとは。


実は私は
自宅のベランダにも映り込んでおり、
今は更新されてしまったと思うが
ベランダで植物を愛でている様子が
街の景色の一部であることが嬉しかった。
今年に入り、2度も映り込んだ。
街で働くと、その地域で映り込む確率が
高くなるのは当然のことだが、
それだけ私は一定のリズムを持って
生活したり働いたりしているのかと
愉快になった。


私の仕事は
別れを前提に行われるものだ。
人によってはかなり積極的に
別れを願ってしまうこともある。


本人が辛そうだったり
制度に依存しすぎていたり。
続いてほしい仕事となることは
理想であるが複雑な場合も多い。


たまたまだが、
映り込んでいた場所での私は
この先も続いてほしいと願う気持ちが
強かったのに驚いている。


改めて自身の姿を眺めながら、
恵まれた環境をありがたく思い、
その時の心持ちを大切にしようと
改めて再認識した。


街に住まえば、
買い物や通院、散歩など
それぞれの活動が一定のリズムを刻み、
街の景色の一部となる。
その風景が絶やされることなく
穏やかに続いてくれることは
当たり前ではない。


変化とともに
取り残された場所も
景色として切り取られる。


街を愛しながら、
景色の変化を
受け入れながら、
ともに歳を重ねていく。







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