コロナ禍に終わりはない。見切りをつけたかのように、世の中に賑わいが戻ってきた。

 令和4年10月。3年ぶりに地元で開催される花火大会の抽選席が当たった。来場規制と感染対策のゾーン分けがされた土手に座り、ゆったりと夜空に咲く大輪の花を眺めた。

 花火には、鎮魂の意味がある。使い方を誤れば凶器となる爆薬を、空に放って鑑賞するのが花火で、日本では徳川吉宗の時代、川開きの際に慰霊や悪疫退散を願うものとして本格的に打ち上げられたという。今年は秋の開催となったが、コロナ禍で急変して亡くなった多くの方や、9月に川の上流で失踪した幼い子供の魂を思い、鎮魂の思いで夜空を見上げた。

 8月の盆休みに、双葉町の伝承館を経由して、陸前高田の一本松へドライブで向かった。
 災害の記憶を伝承することは、その地域への鎮魂になると考えられてのことだろうか、日本中に震災、津波、原子力災害を伝承する沢山の施設が慰霊碑と共に作られていることを知り、その数の多さに衝撃を受けた。特に双葉町は、町に人が戻っていない段階で、施設だけが整然と鎮座しており、閑散としていた。

 気仙沼で被災した年配の友人は言う。「震災や津波の伝承館へは、行く気になれない」と。

あの日、出先から帰宅する道を山側に選んだことで津波の被害を免れた友人は、残された人の支援に奔走し、食材を配ることで心を支えて来た。今も畑を耕し、手作りのらっきょう漬や梅干しを我が家に送って下さるが、沿岸地域の観光地へは意識が向かないようだった。

 同じく気仙沼で震災の月に生まれた友人の娘さんは、来年中学生となる。残り少ない学年行事では、未来の夢について発表する場が設けられたそうだが、自身の夢を語るには抵抗があるようだった。

 11月11日に封切りとなった映画『すずめの戸締まり』は、宮崎県にある廃墟の扉を起点として、日本中に起きる災いを鎮め、主人公が震災後の自身の心と向き合い成長していくロードムービーだ。震災から12年が経過し、心の傷を癒せるのは今を生きている自分だということに気づく。旅の最後は宮城県だった。映画に描かれた風景と共に、私自身が生きてきた12年を思い、作品の展開にも引き込まれて涙が溢れた。浄化の涙だった。

 鎮魂は、決別の儀式。映画では廃墟となり人々から忘れられた場所の扉を締めることで災いが鎮められた。秋の夜空に打ち上げられた花火が音と共に彩り豊かな光を放つことで、鬱屈とした現実の空気を吹き飛ばして浄化された空が広がっていく。

 変異株の感染拡大や、海外からのミサイル威嚇、ウクライナ侵攻による景気後退など、日々の不安や不快感の種は尽きることがない。しかし心のなかでそれらを増幅させることなく鎮めながら、令和5年の地元の空にも花火が上がることを楽しみにしている。
 


via SLOW DOWN LIFE
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