20年前に住んでいた
懐かしの場所で、
貴重な体験をした。




代々木上原。
学生の時に良く訪れた街。
社会人になり、
隣駅から歩ける場所に
5年ほど住んだ。


20代を
ここで終えた。


そんな街にある
東京ジャーミイ
トルコ文化センター。
モスクの美しさが
あちこちで取り上げられているが、
敷居か高いものと感じてか
今日まで近くに行くこともなかった。


生きとし生けるものへ
門戸を開放するかのように
穏やかにあの頃もここに佇んでいたのに。。


愚かとしか
言いようのなかった
若かりしあの日の私。
興味を惹かれることはなかった。


結婚して15年。
夫が美しい建物に惹かれたこともあり、
一緒にガイドツアーに参加してみよう
という事となった。


残念ながら住まう部屋の修繕絡みで
家を開けられなくなり、
「あなただけでも行っておいで」
と夫が送り出してくれた。


ガイドツアーは、
土日祝日に予約不要で開催。
今回は、
夏祭りで特別にスープとパンが
ツアーの前に提供された。


「また、一緒にいこうね」
と約束して、ひとりで向かう。


少し早い到着だった。
建物の入口でモスクの塔を見上げると、
ハロが出ていた。
輪っかの虹だった。


こういう奇跡があると
来てみてよかった、と思う。


ホールには大勢の参加者。
ラマダンの月には
ここで300人が食事を摂るのだとか。
かなり空調が効いており、
ストールが重宝した。


赤レンズ豆と玉ねぎと人参のスープ。
パンはしっとりした小さなコッペパンを
切ったようなもの。


ガイドの男性が、
参加者を楽しませるトークで
イスラムの文化を紹介してくれた。


食事は
ひとりで食べてはならない。
誰と食べるかが大事。
社会的な活動なのだ。


今、人があまりにも自由で
バラバラになってしまっている。
ラマダンで
空腹と食事のありがたさを思い出す。
人は簡単にそれを忘れ、
ラマダンで施しをする大切さに気づく。


そんな言葉が
しみじみと心に響いた。


モスクには
動物や鳥たちにも休む場所が作られている。
猫は街のみんなで飼うものだそう。



人だけが
生きているのではない。
パンを食べるときは
その恵みをくれた太陽や雨、大地に
感謝しなければいけない。



当たり前のようだけど
見逃されがちなこと。
異文化通じて気付かされる。



モスクでは、礼拝が行われていた。
天井は、宇宙。
絨毯は、大地。
美しい地球の縮図のよう。


祈りの儀式をするのは男性。
お尻を上げる動作が
女性向けではないらしい。
ストールを頭に巻いた女性は
絨毯の上に座り込む。
遠くで男の子たちも
祈りの所作をしていた。


ラマダンの月は、
日没後に食事が振る舞われるから
ぜひ来てみてくださいと
ガイドの男性が嬉しそうに宣伝されていた。


住まいのあった通りは
すっかり様変わりしていたけれど、
こちらも夏祭りが行われるようで
下町っぽい情緒が残っていた。


前世の記憶のような
遠い景色。
あの日の私も
記憶の彼方へ遠ざかっていく。


世間の三連休初日は
どうにか嵐の前の静けさのうちに
過ごすことができた。


自然には抗えない。
季節は移りゆく中で
時に忍耐や試練を私達に課すものだ。


異文化の祈りの儀式に、
背筋を糺された気がした。



夕日が沈むとラマダンは
ブレイクファストになる。
浄化と祝福で満たされる。
そんな境目の時間に
私は猫と過ごして
心を休ませる。
そんなライフスタイルには
どこか通ずるものがある。


生きとし生けるものに
祝福を。







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