訪問先で、
見るともなしに報道に触れたあの日。
速報のテキストでは感じることのない
音や映像が、あまりにも衝撃的だった。


7月8日、金曜日の昼間。
多くの人の目に、心に、
残像が焼き付いた。


あまりにも突然で、衝撃的過ぎて、
まだ、その事実が現実に思えない。


今日。
荼毘に付しましたね。。
訳のわからない世の中になったな。。
残された奥さん、気の毒だな。。
憤りのコトバはなく、
ただただ力なく悲しむ声、声、声。


コロナ禍で
テレビをあまり見なくなった。
少し落ち着いてきたと思いきや、
高齢者には社会の窓のようなテレビから
戦争の惨禍が報じられ、
テレビを見ない人も増えていたが、
またもやショッキングな悲報が
テレビや新聞から目に届いた。


世間話が
会話からきえていく。


時代劇や洋画のチャンネルは、
現実逃避に役立つけれど、
世知辛かったり
恐怖や緊張が高まったりで
心穏やかにならない。


今日、
在宅で生涯を閉じた人がいた。
援助に通う中、話題にしたのは
天気、気候、地域のお祭りや花火大会。
少しでも気持ちが晴れてくれたら。
そんな思いで体を拭いたりしていたが、
ある段階からガクッと急変してしまった。


閉塞感が
加速してる。


住まう地域でも
選挙カーへの攻撃的な事件があったばかり。
今週末行われる予定の夏祭りも、
恐ろしい犯行予告でざわついている。


犯行の目的が
世間の注目を浴びたい
というものに変わっている。
しかも、
それを遂行することで
何かが成し遂げられることもない。


そんな中
淡々と日々、
人として生きている。
自分自身を大切にしながら。


そう。
自分を守れるのも
自分を喜ばせられるのも
自分なのだ。


だけど今は
簡単に人が孤立し
経済的にも困窮する。


困ったとき
困ったと言える誰かがいない。
どうでもいいような
モヤモヤに共感する誰かもいない。


ネットに繋がらない環境下で
それは容易に起きる。


そんな人がたくさんいて
選挙にも行く事がなく
ただひたすら家の中にいて
選挙カーのけたたましい呼びかけを
騒音と思ったとしたら、
それは仕方のないことだ。


幸にして私は
コロナ禍に人と接触し続け
そんな人たちと接点を持ち続けている。
我々のような存在を通して
社会の風を感じられる人は
我々を含めて恵まれている。


もっと広い世界を知って
社会の風を浴びなければ
どんどん弱って衰えてしまう。


今私は、
季節を絡めながら
過去に話題を巡らせている。


もうすぐ
東京のお盆。
迎え火の頃です。


そうか。
早いなぁ。。。












via SLOW DOWN LIFE
Your own website,
Ameba Ownd